25歳付近でちょっとずつ好転に向かっていった話
ある日、本屋さんで梵字の本を買ったのね。
その本を買ったのは、なんとなく不動明王さまの絵が気になったから。
んで、なんで不動明王さまの絵が気になったかというと、
本を買う数日前から、何かで不動明王さまをみたり聞いたりしてたからなんだ。
細かくは忘れちゃったんだけど、その本を買ったのをきっかけに自分の傷とか心の中にある憎しみと正面から向き合うようになったんだよね。
私の抱えていた憎しみとか傷って、父親に関すること。
なんかとっても嫌いで、子供の頃から26歳くらいまでは悪の対象でしかなかったのよね。
んで、何故かその本当の理由(そう感じる自分の感情)に気づかないというか・・
そこにフォーカスできないでいたんだけど。
さっき書いたことがきっかけとなって出会った方のお話で、初めてそこフォーカスできたんだ。
でも考えても分からなかったね。全然わかんない。
ずっと疑問に思ってたら、夢でその理由を知ったよ。
両親がそばにいてくれなくて、冷たくされて さびしい って夢。
そうそう、寂しかった。そこからお母さんとか祖父母の話とかきいて
嫌悪に結びついていったんだなと理解できたんだよね。
今では、お父さんの発言の理由が本当によく理解できるなーと思うようになったよ。
あれは乙女座特有の言葉選びだったし心配の気持ちだったんだ・・という風にね。
不思議だけど、今は憎しみはないよ。
このことがきっかけで、自分の人生というか見てこなかった自分の感情とかについて、
よく考えるようになった。
そこから、今に至るまでまだ向き合い続けてる感じ。
私の人生って、私自身が言葉にうまくできなくて発信してこなかったから、外からみたら分かりにし、理解されない寂しさと苦しさみたいのが渦巻いてたなーと思う。
今はすこしマシになってきたかな。出来ることを仕事にしてるしね。仕事っていうか、やりたいからやっている事という感じだけどね。
目の前に現れて見えてること、感じてることの本当の理由ってだいたい自分の心にしまってある感情だったりするなとこの体験を通して学んだよ。
あと、この人には助けが必要。そう思っても、その人の気づきの段階がどの辺りか・どの辺りまで感じているのかによって助けられるのは今じゃないんだな、という場合もあるということも学んだ。
だから、無理に手をさし伸ばさなくなったような気がする。
ただ、気長に遠くで見守るスタイルはとってたりする。
自分の心にしまってある本当の理由に気づくことができると、視点が増えるのと謎が解決できるからオススメです。
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